取材について思うこと

雑誌に限らず印刷物が少なくなって、その関連の業界はとても苦戦を強いられて

いるのだと想像します。それは勿論世の中にwebという便利なツールがあるわけで、
雑誌を買わなくても情報が得られるからでしょうが、
別の角度からも問題があるのではないかと思うのです。
私が店を始めてからいろいろな雑誌の取材依頼を頂いて感じていること。
多くの雑誌取材が撮影日の早くても1週間から酷い時はほんの数日前に突然の電話や
とても簡潔な文章のメールで依頼文が送られてくる。
「え ? 来週 ? え ? 明後日 ? てな感じ。 またも急ぎだなぁ、対応時間取れるかなぁと」、
返事を躊躇していると、さらに続く発言。
「お忙しいでしょうから、取材しなくても大丈夫、何なら過去撮った写真をメール
に添付さえしてくれれば情報はお店のホームページから拾わせてもらって本誌で使わせて
頂きますから。」と…。
もはや、「無料で載せてあげるんですから写真だけちょうだい。断る理由ないでしょ ?!」
としか聞こえない。これが取材依頼 ?
取材さえ端折り、写真があればO.K。だったら雑誌掲載の意味ある ?
と思い、幾度となくお断りしてきた。
無料掲載なら何やってもいいの ?
いや、多分有料掲載だって、web掲載だって質は変わらないはず。
問題は雑誌社の姿勢であり、担当者レベルの話じゃない。
対応は全国紙も地方紙も変わらないが、
特に地方紙の記事はデコ・ボタニカルの雰囲気を一気に台無しにしてしまう、
写真をピンクのリボンマークや可愛らしいフォントで
被せられ、来てもいないモデルさんが「ステキ〜、美味しい〜」とかコメント書いてる。
もーほんと泣けてくる。
やめて〜、そんなウソだらけの紹介文と可愛い文章やハートマーク、
その全てがデコ・ボタニカルじゃない !

編集者が直接店に来るとか来ないとかなんて、
もはや論外、パッパと撮ってさっさと帰っていく。
私たちの店の雰囲気とか、味とか拘りなんて興味もない。

メニューさえもスマホに収め、あとで「構成しておきますから !」と…。

さらに悪質なケースは来たことも無いのに、こちらのホームページからの情報と、
お客様のブログ記事からも情報を抜粋し、あたかも取材して得た情報のように
間違いだらけの取材内容と変貌していく。
それでいいとか悪いとかではなく、
取材するって本来はどうゆうことなのか。
でも、救われた。
今回の取材は全く違ったのである。
編集者が早くからしっか連絡してきてくれて、こちらの意向や考えを
しっかり取材して下さろうとする姿勢のある雑誌。
対応に反ってこちらがびっくりした。
良かった ! 私が落胆し続けた取材ばかりでないんだ。
10日ほど前、その雑誌の取材を受けた。
何を感じて、何を切り取って貰えるか、今から楽しみである。
改めて取材内容をご紹介したいと思ってます。
つづく

 

幻想的な夜

みなさん、昨日の夜空を見上げましたか ?

私たちは恒例の火曜の食事会の後、スタッフと一緒に店を出て振り返ったところで
幻想的な夜空にみんなで見惚れました。
これは、「月光環げっこうかん」というそうで、
「月の暈つきのかさ」とも呼ぶそうです。
武川に来て10年、初めて見ました。
自然はいろいろな素敵なものを見せてくれる。
自然と言えば、今朝、新聞で読んだゲノム編集食品の
記事を思い出す。
「栄養の多いトマト」や「肉付きの良い養殖のマダイ」などだって。
遺伝子組み換えより安全だから、認証されるんだそうな。
もう何が本当の自然ってこの後の人類には知るすべが
あるのだろうか・・・。
自然環境に住みたくて武川に来たけど、
本当の自然ってなんだろう。

あっという間に

1月・2月は結局冬眠できず、ゴソゴソいっぱい動き回って、

気づけばもうそこには春がいた。

ブログの放置期間2か月、あっという間に過ぎ去ったー。
昨年の終わりにガーデンボランティアに参加してくれた絵理ちゃんが
その縁でデコ・ボタニカルのスタッフになることが新年早々決まり、
またまた急いで住まい探しに奔走したり、南アルプスのガーデンを作りに行ったり。
毎年、毎年スタッフの住まいを探して今年で3年目、アパートがほぼ無い北杜市では
本当に借家を見つけるのはハードルが高い。
でも、お陰で今年はいい出会いがありました。
デコ・ボタニカルの近くで1棟借りられることになり、そこを拠点に
新しいことが始められそうな予感 ← しばらくして報告できる日が来るといいな。
冬の間に模索していた新メニューも決まり、今年のデコ・ボタニカルはさらに
ブラッシュアップさせたい。
そして、ホームページとインスタで公表したように、今年から店は週休3日制と
変わります。
手放す1日の代わりに大きな成長が出来るよう、今年はちょっぴり自分の休みも
確保しつつ、お客様のガーデンを魅力的にお手伝いできるように日々を積み重ねて
いこう。
スタッフも増えて新しい風が吹きこむ空間はいいなあ。
確実に春を迎えている植物のように蕾を開花させられるように。

晴れ渡る冬空の休日

先日のこと。

 

青い空に前日降った雪が素晴らしく綺麗に山の稜線を浮かびあげている。
それだけで気分がウキウキし、南アルプスから八ヶ岳を横目に
眺めながら北アルプスが見える安曇野まで出かけた。
改めて、ここの辺りはなんて素敵なエリアだろう。
南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、北アルプスに囲まれてずっと峰が連なっている。
久しぶりに一人で1匹だけ車に乗せて高速を走る。
雪山が綺麗すぎてため息が出る。
お留守番させた2匹は騒いでたなー。
今年の秋にデコ・ボタニカルで絵の展示をお願いした末永恵理さんと
昨年、共同企画展に写真の展示をしてくれた山内 悠さんの展示を観に
豊科近代美術館に向かう。
美術館の2階窓からの北アルプス
過去に何回か出会っている作品や初めて観る作品もあって場所が違ったり、
見る側の受け取る心情でまた違った印象さえ持つ。
恵理さんの会場は広いこともあってダイナミックで引き込まれた。
私が特に気になった「遊」と「源」
ご本人曰く、八ヶ岳大同心だそうだ。
山ちゃん(いつもの呼び方で失礼)の、富士山での長い滞在生活で密着した
下界の上での小屋の主との関係性も伝わってくる。
他の3名の作品もどれも良かった。
若さのエネルギーが放出されていた感じを体で受けて、少し行きと違った
ドライブで帰路に着く。
帰りは少しだけ仕事の打ち合わせで松本に寄り、諏訪の魚屋さんにも
立ち寄って夕飯は大好きな魚料理となった。
山での暮らしは本当に気に入っている・・・これで日々新鮮な魚介類が
食べられたらいう事なし ! なんだけど。
いい休日だった。
-----------------------------------------------------------------------------------
20人の現代美術家を紹介するシンビズム展で4か所で同時開催され、
豊科近代美術館では5名の作者の展示が行われている。

   ■会 期:2018年12月1日(土)−12月24日  (月)

 ■時 間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)

 ■休館日:12月3日(月)、10日(月)、17日(月)

 ■場 所:豊科近代美術館2階展示室

  ※入場無料

 ■出展作家:OZ-尾頭-山口佳祐/末永恵理/橋口優

      橋本遥/山内悠

秋晴れの今日

秋晴れで気持ちの良い今日。

お客様は少ない。

ならば午後はカウンターのパソコンでブログを書くことにした。
たまにはいい。
忙しくて暑くてここでの暮らしの良さを実感できない夏を乗り切り、
今日のこんなにも気持ちのいい時間を独り占めできているのは
ご褒美かもしれない。
あきちゃんは庭でビオトープを作るため腐葉土の場所移動をしている。
ひろみさーん ! と呼ばれて行くと昆虫好きな私が期待していた大きな大きな
カブトムシの幼虫がわんさか現れていた。
春から草や落ち葉を一か所に積み上げて溜めていたコンポストには
かなりいい腐葉土が出来ていてカブトムシが卵を産んでくれていた。
たぶん80匹くらい出てきたと思う。
これがカブトムシになるなんて、生命って凄い。
ちなみにこれはイノシシの大ご馳走。だから、腐葉土は囲って作ってます。

朋さんは工房小屋の窓制作に取り掛かっている。
スタッフが一人辞めてから、カフェのお手伝い頻度が増していて
作業が停滞していたけど、こんな秋晴れの中だったら作業も軽快に進むかな。

 

私は先週末にあった台ケ原宿市の骨董市に金曜日に出向き、
古本屋さんで牧野先生の植物図鑑に出会った。
とても破格なお値段で続編と共に2冊購入。
手書きの植物は温かい。
今日の午後はテラスで図鑑を眺める日とする。

最近思い出す人

若いころの私ってどんな感じだっただろう・・・と思い返すとき、

良く思い出す人がいる。

アメリカに住んでいた頃、70代くらいだったと記憶に残る、日本人の
ご夫婦にとてもお世話になったのに、いつからかそのご夫婦を
訪ねることなく最後にお会いしたのは何時だったかさえ記憶にない。
そして、きちんとお別れの挨拶もしないまま3年後私は日本に帰国した。
最初にアメリカに行ったのは私が21歳になりたてでカリフォルニアの
L.A東部に住むことにした時に知り合いから紹介されたご夫婦。
移住してまずは運転免許証を取るために試験場に送ってもらったことが
1つ目のお世話になった記憶である。
交通機関の無いL.A郊外なので移動手段は車しかない。
何はともあれまずは車に乗れるようにしないと生活が出来ない。
そして、免許を手にして車を買いにディーラーに行くときも同行して
もらったと思う。
一連の購入手続きや保険加入など手伝ってもらったに違いない。
今、まさしくこの記事を書いている最中に涙腺が緩みウルウルとした
不思議な感情が入り混じる。
もう30年以上前のこと。
そして私はホンダのインテグラを購入した。
日本でも18歳から車を運転していた私は毎日、毎日、一日200キロ以上
乗った記憶がある。
アメリカの高速道路は運転が楽しくて仕方なかった。
そのご夫婦には何回かお手製の日本食をご馳走になった。
鮮明な記憶はもう1つ、小さな茄子である。
親指ほどの小さな茄子を漬物にして食べさせてくれたこと。
きっと好きになれない味を無理に食べたことで記憶に残っている
と思う。
21歳の私には理解できない味だった。
間違いないのは今であれば、相当好きな味なはず。
このご夫婦はアメリカに長く住み、日本の野菜を庭で育て、日本の味を
忘れない様に自家製していたと思う。
今だからこそ、流通もあって、ネットで情報も簡単に手に入るが、
30年以上前は私でさえ、日本の情報と食べ物に対して深い欲求に駆られていた。
貴重な茄子の漬物は恩知らずで苦労知らずの味覚も音痴だった私の胃袋に収まった。
その野菜を大切に育て、ただ日本から来たと言うだけの見知らぬ若者の食住のケアに
気を使って下さった親切な方の名前とその後さえ知ろうとしない私の胃袋に。
今だったらスマホの写真くらいは残っているだろうし、FBで繋がったり
しているのかも・・・。
50歳くらいは年が開いていて何を会話したのか、そして何を学んだのか・・・・
アホな私は全く記憶がない。
今、なぜこのご夫婦が思い出されるのか私は理由に心当たりがある。
あの後、30数年私はいろいろな道を通りました。
きっとピンチだった私の食生活をあのお手製の日本食が支えてくれたと思います。
もうきっとこの世にご存命ではないであろうこのご夫婦に今伝えたい。
ありがとうございました。
私もこんな夫婦になりたい。